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  • 2010.07.21 Wednesday
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表現すること

 NHKで佐野元春が司会を務めるソングライターズという番組がある。歌手、作詞家、バンドなどのまさにソングライターが出演し、自分や創作について語るという番組である。先日のゲストは、ミスターチルドレンの櫻井和寿氏だった。彼が作詞した「名も無き詩」という歌の中で、「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの。」という歌詞を思いついたとき、素晴らしく感動したということを言っていた。そこにある状況、それは誰がみても変わらないが、受け止め方によって、あるいは表現することによって全く違ったものになる。受け止めたことを的確に表現することはかなり難しい。使い古された言い回しには、良さがあるが、一方で、固定したイメージがつきまとい、自分の感受したものをうまく表現でていない場合がままある。だから、オリジナルな表現を見つけ出すことが必要になる。これは、アーティストと呼ばれる職業でなくても、同じである。我々法律家も同様である。事件の現場にいって、実際の問題となっている事実を五感で感じても、なかなか的確な表現はできない。もちろん、既にある定型化された表現を使うこともある。しかし、その定型化された表現の意味を理解していないと、受け止めた状況に比べて、しっくりこない表現となていまう。また、それぞれの世界における共通言語を使わないと、全く理解されないことも多々ある。それにしても表現すること、他人に何かを伝えることは難しいものだ。しかし、そういう言葉、表現がうまく、満足いく内容で自分の中からつむぎだされたときの感動は、どうだろう。やっぱり、素晴らしい達成感のようなものがあるんだろうか。
井寄 靖

思い出のW杯

 やはりこの時期、W杯が気になる。私の世代のヒーローはやはりマラドーナである。メキシコ大会のイングランド戦、後に名古屋にくるリネカーもイングランド代表として出場していたが(しかも得点王)、今やすっかりマラドーナの話しかでない。また、同大会の決勝で、アルゼンチンに2点リードされた西ドイツが後半30分すぎから2点とって追いついたことも忘れ去られている。また、フランスの貴公子と言われたプラティ二もいたのに陰が薄い。それほど、マラドーナが神の手と5人抜き伝説がすごいということだろう。次に忘れられないのが、イタリア代表「ロベルト・バッジオ」である。クラブチーム「ユベントス」の一員として来日して、当時の日本代表(カズ、井原など)とも試合をしている。バッジオを象徴しているのは、アメリカ大会決勝の最後のPKを外したこと、そして、その時の後姿である。この大会、バッジオは予選リーグ不調で途中交代させられたりしていた。ところが決勝トーナメントに入って、見違えるようにゴールを決め、やはり「バッジオ」という印象を強く残した。この大会はブラジルが優勝し、現在の代表監督のドウンガやローマリオなどもいた。しかし、史上初の決勝戦でのPK戦で、自分が外せば負けが決まる。決勝までの7試合で疲労もピークに達し、しかもチームメート(バレージとか)が何人か外した後に外すなと言われても・・・。というような状態だったのではないか。次のフランス大会はフランスが圧勝で優勝したように思われているが、準々決勝でイタリアとは引き分け、PK戦でフランスが準決勝に進出したにすぎない。この試合、バッジオは早めの順番でPKを決めている。しかし、アメリカ大会同様に、チームメートが最後PKを外して、フランスの準決勝進出となってしまった。PKを外し、ピッチ上に倒れたチームメートに最初に声をかけたのはバッジオだった。私はむしろこのシーンが忘れられない。PKとはそんなもんだよ。それがフットボールの全てじゃない。ただ、運が悪かっただけさ。そうバッジオは語りかけているようだった。それにしても、弁護士としてこんなすごい選手じゃなくても、スポーツマネジメントというのをやってみたいもの。ロースクール時代のアメリカ人の弁護士(ハワイ州)の先生は、有望な選手を早いうちに発掘して、サポートしていくのは楽しいぞと言っておられましたが、今のところ、そのうち機会があればという程度。では、日本代表を応援しましょう! 井寄 靖

The 4th kind

 弁護士などをやっていると、いろいろ考えすぎて頭が混乱してくることがあり、そんなときに仕事と全く関係ないことをするのがいいのではと、映画「The 4th kind」を見てみた。異星人との遭遇には4種あって、UFOの目撃から異星人との遭遇を経て、4種は「異星人による拉致」をいうらしい。本作品における異星人は「未知との遭遇」などの友好的なものではなく、むしろ攻撃的で人類に対して報復しているかのようである。拉致された人々は記憶を消され、催眠療法によって拉致された記憶を取り戻した人々(取り戻した際には催眠中ながら体が宙に浮かび、終了すると骨折や傷害を負うというもの)も順次発狂し死んでいくという設定である。しかも、異星人が古代シュメール語を話し、あたかも紀元前4千年ころ楔形文字を発明したシュメール文明は異星人によるものというストーリーのようでもある(シュメール語は、その後のどの言語とも体系が異なっており、異星人から与えられたのではとの説を生じさせる原因になっているらしい)。本作品は、明らかにノンフィクションとして映像化されており、実際の映像と再現映像が併せて放映され、主人公である心理学者も実在の実物として本作品の監督から当時の状況についてインタービューを受けるシーンもある。舞台である米国アラスカ州ノームで行方不明者が多いこと、UFO目撃や拉致とおぼしき体験談が多くあること、そしてシュメール語の未解読部分が多いことなどをベースに作品化されたものと思われる。しかし、実際に映画配給のユニバーサルピクチャーズは本作品についてバイラルマーケティングという手法を使い、ネット上のうわさを広めたようで、かつ、主人公が実在しているのか、あるいは「実際の映像」というものの裏付けすらない。したがって、本作品は、ノンフィクションを装ったフィクションではないかという疑義がある。もちろんノンフィクションだとすると、相当衝撃的な事件であり、本人も実名を出すことは考えられないが、それにしても、なぜアラスカ州ノームだけで事件があったのか、文字しか手掛かりがないシュメール語の発音がナゼ分かるか、実際の映像として使用された「警察撮影のもの」をどうやって入手したのかなどなど不明な点が多すぎる。もちろん、ブレアウイッチプロジェクトのようにいかにもノンフィクションを装って盛り上げる手法はあってよい。しかし、本作品は、プロローグからエピローグに至るまでノンフィクションであることに疑念を生じさせないような内容になっており(エンドロールでは、UFO目撃通報や、拉致された体験談のインタビューなどをまとめて順次ながしている)、もしフィクションだとするとやりすぎである。著作権法上はたぶん問題はなかろうが、法的にどういう問題があるのか検討したいところでもある。前回のブラックジャックによろしくは、まさに現実の医療現場を舞台にしたフィクションであるが、本作品はノンフィクション性をここまで強調してフィクションであったとすると、民事・刑事上の責任は問われないにしろ、やはり視聴者をまんまと騙したことになるのではという気がする。  井寄 靖

ブラックジャックによろしく

 標記漫画は、研修医を主人公とする医療漫画で、妻夫木聡主演でTVドラマ化された。司法修習生と異なり、研修医は判例でも労働者性が認められるほどハードワークであるが、その実態が極めて深刻に描かれている。ほとんど笑いはない。しかも、主人公の研修医の行動は、とても研修医とは思えないほどの熱意がある。その熱意のあまり、研修先の病院以外の医者を紹介したり、ガン患者に保険診療を受けさせようと、カンファレンスでカルテを改ざんしたり、最近の話では、同僚の看護婦のため腎臓を提供することまでしている。弁護士も自らの良心と、倫理規程に拘束されるが、医師は患者の命と、生命上の倫理観とも戦っている。そんな姿を目の当たりにする作品である。題名のブラックジャックは、手塚治虫作の同名漫画へのリスペクトなのだろうが、医療の知識という点では同レベルでも、無免許医と、研修医という立場、個性のとらえ方で作品の質として全く異なるものに見えてくる。実際、作品内で扱われている症例と似たような状況にある方々はこの作品をどうみているのであろうか。弁護士と医師は職業的に似たような部分がある。それは依頼者の絶望的な場面から仕事がスタートすることがあるということである(もちろん、医師のほうが直接生命を扱うという点では重いのかもしれない)。それが絶望的な状況に至った原因が客観的に分かることもあれば(証拠や診療で)、依頼者からの事情聴取からしか分からない場合もある。しかも、個人の感情はそれぞれで同じ状況・症状でも、深刻に考えない人もいれば、素直に受け入れて前向きに生きていく人、あるいは、まさに絶望の淵で叫んでいる人もいる。しかし、全ての人を救済できるわけではない。極めて限られた範囲で、医療技術、法的技法をそれぞれ駆使して、治療又は解決を図ろうとする。難しい仕事である。ゆえに、高貴な倫理観が求められるのであろう。この漫画を見るたび、自分のレベルはどうなのだろうか、依頼者と論争になってもそのために考え動いているのであろうか、さらに結果を自分は受入れられるだろうかと繰り返し考えている。読むのがなかなかつらいが、素晴らしい作品である。
井寄 靖

あしたのジョー

 白州次郎を演じた「伊勢谷友介」が実写版「あしたのジョー」で力石徹を演じるらしい。あしたのジョーは梶原一輝原作、ちばてつや漫画の傑作である。いまだに子供のころみた「アニメ」での尾藤イサオの歌声が忘れられない。矢吹丈の声は「あおい輝彦」がやっていたが、彼は丈へのリスペクトから他の声優役を一切引き受けないらしい。それほどいろんな人の「思い入れ」が多い作品だ。ストーリーは、矢吹丈が少年院(犯罪少年として送致)でボクシングを始め、世界タイトルマッチに挑戦するまでという長いもの。しかも矢吹丈は一体何歳なのかよくわからない。力石に至っては、少年院にいるときに既に30才くらいの貫禄がある。法律的にみても、おもしろい話がたくさんある。ボクシングは事実上はルールがある殴り合いである。当然、顔や体に傷害が残る。しかし、別にそれが損害賠償や刑事罰になることはない。合意と正当行為になるからだ。ただ、少年院で丈が力石との体格差を克服するためグローブの中に石を持ってボクシングするシーンがあった。これは明らかにルール違反で正当性はない。傷害罪や損害賠償が成立する余地がある。また、別の観点からみると、丈が世界タイトルマッチに挑戦する際、あるいはその前哨戦について、「白木ボクシングジム」が丈の挑戦相手及び丈の試合の興行権を全て買い取り、丈が怒るシーンがある。結局丈は試合はできるが、興行権契約に基づく債務不履行責任にて損害賠償を請求されるのであろう。スポーツ選手に肖像権・パブリシティ権が認められている(憲法13条人格権の一部)。したがって、勝手にスポーツの試合を録画等するのは人格権侵害のおそれがある。スポーツの試合自体は、創作性ある思想感情の表現とは言えないので、著作物とは言えないのか、パブリシティ権に基づくものとして放映権(無名契約?)など別途契約を締結し、全体として興行権としてプロモーターが確保しているのか。ただ、最近のボクシングの試合は、会場の装飾、選手紹介・入場の際の映像音楽、さらにはラウンドガールなどかなり演出がなされており、それ自体一種のショーとも言えるので、著作物そのものではないかとも思われる(この点については、どなたか解説を御願いしたい。)。といった権利関係の話もある。さらに、極めて些少なことだが、涙橋付近の川沿いにある「丹下ボクシングジム」の土地は、賃貸借でも使用貸借でもなく、単なる不法占拠ではないかとも思われる。しかし、誰も咎めていないので、そのうち取得時効が成立する。まさか?法律問題はこれぐらいにして、80年代ころは、あしたのジョーを見て、プロボクサーになった人は相当いたと思う。最近、イタリア代表のプロサッカー選手の多くが、子供のころ、キャプテン翼をみて、サッカーを始めたという話を聞いた。両者に共通するのは、できもしない技があることである。あしたのジョーでは、「トリプルクロスカウンター」。未だ、現実の試合でみたことがない。普通のパンチの12倍の威力があるらしい。しかし、子供のころはみんなそれが何とかできるようにまねてみるものだ。そのうち、競技としてそれらしい技術が出てくる。漫画は夢をかなえるバイブルかもしれない。それにしても、リングサイドにいるラストシーンのジョーは寝てるだけか、死んだのか。次回は、「ブラックジャックによろしく!」。医療漫画です。 井寄 靖

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